第5主日礼拝!
2010/01/31
最近、金武教会では癒し!!が沢山
神様は、今も生きて働いていますね〜

来週の、ヘンリー先生の集会も楽しみですね

ぜひ、ぜひ、来週の日曜日には、金武教会にお越しを!!
あなたの、人生が変わる!日になるかもしれないです

聖書: マルコによる福音書2:1〜12
宣教:「救い・癒し・解放」〜生きて働く信仰を持つ〜
イエス様が、中風の人を癒すキセキ。がここには、書かれています。
イエス様に中風を癒してもらいたいと思い、中風の友達を運んできた4人の人達
が
部屋の中には人が沢山で、イエス様に近づけない・・・
せっかく運んできたのに・・
どうしよう・・・
今日は、無理そうだから辞めておこうかな・・。
また、今度イエス様が来たときに癒してもらおうかな・・。
と思ったでしょうか?
なんと、4人の友達は、屋根にのぼり屋根を壊して、中風の人をイエス様の所に
連れて来たのです!とても、大胆な行動
なぜ、そこまでしたのでしょう
それは、イエス様の元に行きたいから。癒されたいから。
ただ、信仰のゆえに彼らは行動をしました
ここで、この5人の人達の信仰から学べる事があります
1.彼らには、イエス様への信頼がありました。
この方こそメシアである!この方の元にいけば癒される!!
今の時代で言うと、御言葉を聞いて従う、信じるという事。
2.彼らには、友達への信頼がありました。
教会の中で言うなら、執り成しの祈り。
自分の為ではなく、人の為に何かをする。祈る。信頼しあい、祈りあう。
信頼関係や祈り、願いがなければ、この中風の人には、癒しがおこらなかった。
3.常識を超える行動力がありました。
神様を、知っている。信じている。神の力を体験した。
じゃ、次あなたは何をするのか
行動がなければ、癒しはなかった。
信仰は、持っているだけではダメだという事です
信仰生活は、
本気で、信じて行動に移しているか?
それだけなんです
信仰というのは、動くもの、働かせるものなのです。
常識では無理だーーーと思います。
しかし、信仰を働かせるという事は、無理だと思っても、
御言葉には神には不可能はないといっている。
から信じます!!!これが信仰が働いている状態です。
これは、毎日しなければいけません!!
感謝出来ない状態、祈れない状態、喜べない状態。でも、信仰を働かせる決心をします。
感謝しなさいとあるので、感謝します。
涙を流しながらでも、感謝するんです!これが信仰を働かせる状態です。
祈れなくても、主の前に行くんです。
自分の常識という心の屋根をはいで、信じる。信じきるのです。
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する事です。
ヘブル11:1
みなさんには、救われて欲しい人
が居ますか?
私達も5人の信仰を見習って、救われて欲しい人のために、
行動してみませんか?
あなたが祈らなければ、救われない人もいるかもしれません。
あなたにしか、祈られない人もいます。
先に救われた者の使命は大きいのです。
その分、御業も体験します
祝福も受けます
天の報いも大きいです
私達は、祈って伝える。祈って伝える。あれこれ考えないで、
信じて、行動を起こす信仰を持って出て行きませんか?
全世界に行って、全ての作られたものに福音をのべ伝えなさい
マルコ16:15


神様は、今も生きて働いていますね〜


来週の、ヘンリー先生の集会も楽しみですね


ぜひ、ぜひ、来週の日曜日には、金武教会にお越しを!!
あなたの、人生が変わる!日になるかもしれないです


聖書: マルコによる福音書2:1〜12
宣教:「救い・癒し・解放」〜生きて働く信仰を持つ〜イエス様が、中風の人を癒すキセキ。がここには、書かれています。
イエス様に中風を癒してもらいたいと思い、中風の友達を運んできた4人の人達

が
部屋の中には人が沢山で、イエス様に近づけない・・・
せっかく運んできたのに・・
どうしよう・・・
今日は、無理そうだから辞めておこうかな・・。
また、今度イエス様が来たときに癒してもらおうかな・・。
と思ったでしょうか?
なんと、4人の友達は、屋根にのぼり屋根を壊して、中風の人をイエス様の所に
連れて来たのです!とても、大胆な行動

なぜ、そこまでしたのでしょう

それは、イエス様の元に行きたいから。癒されたいから。
ただ、信仰のゆえに彼らは行動をしました

ここで、この5人の人達の信仰から学べる事があります

1.彼らには、イエス様への信頼がありました。
この方こそメシアである!この方の元にいけば癒される!!
今の時代で言うと、御言葉を聞いて従う、信じるという事。
2.彼らには、友達への信頼がありました。
教会の中で言うなら、執り成しの祈り。
自分の為ではなく、人の為に何かをする。祈る。信頼しあい、祈りあう。
信頼関係や祈り、願いがなければ、この中風の人には、癒しがおこらなかった。
3.常識を超える行動力がありました。
神様を、知っている。信じている。神の力を体験した。
じゃ、次あなたは何をするのか

行動がなければ、癒しはなかった。
信仰は、持っているだけではダメだという事です

信仰生活は、
本気で、信じて行動に移しているか?
それだけなんです

信仰というのは、動くもの、働かせるものなのです。
常識では無理だーーーと思います。
しかし、信仰を働かせるという事は、無理だと思っても、
御言葉には神には不可能はないといっている。
から信じます!!!これが信仰が働いている状態です。
これは、毎日しなければいけません!!
感謝出来ない状態、祈れない状態、喜べない状態。でも、信仰を働かせる決心をします。
感謝しなさいとあるので、感謝します。
涙を流しながらでも、感謝するんです!これが信仰を働かせる状態です。
祈れなくても、主の前に行くんです。
自分の常識という心の屋根をはいで、信じる。信じきるのです。
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する事です。
ヘブル11:1
みなさんには、救われて欲しい人
が居ますか?私達も5人の信仰を見習って、救われて欲しい人のために、
行動してみませんか?
あなたが祈らなければ、救われない人もいるかもしれません。
あなたにしか、祈られない人もいます。
先に救われた者の使命は大きいのです。
その分、御業も体験します
祝福も受けます
天の報いも大きいです
私達は、祈って伝える。祈って伝える。あれこれ考えないで、
信じて、行動を起こす信仰を持って出て行きませんか?
全世界に行って、全ての作られたものに福音をのべ伝えなさい
マルコ16:15

〜第3主日礼拝〜
2010/01/17
宣教:「神の御言葉による救い」
聖書;詩篇107:1〜22「神様の御言葉を信じると奇跡が起こるよ!」と聞いて、あなたは信じられますか?今日の礼拝では、そんな一瞬とまどったあなたへの神様からのメッセージ
が語られました。そもそも、クリスチャンなら誰もが最初に経験する、
大きな大きな奇跡
は何だと思いますか?それは、救いの奇跡です。大きな奇跡どころか、
番の奇跡
だと言ってもいいかもしれません。イエス様を自分の救い主だと受け入れ、罪を悔い改め
、バプテスマを受ける。なぜ救われたかを説明しなさいと言われても、人間的な力や、考え方ではどうにも説明がつきません。すべては、私たちが生まれる前からの神様の御計画
があり、聖霊様の執りなしの祈り、あるいは多くのクリスチャンの方々の祈り、そして最終的に神様に従いたい決心する自分の意思によって、救われるのです。そんな大きな奇跡を体験しているにも関わらず、いつの間にか、神様の御言葉に聴き従うことをせずに、自分勝手な道を歩んでしまっていることがあります
その姿は、2010年前の祭司や長老
、律法学者
、パリサイ人
のように、御言葉を自分の都合よく利用し、御言葉を知ったふりをしている姿によく似ています。イエス様は、彼らに「あなた達は道を踏み外しているよ。罪を悔い改めなさい。」と何度も警告
しましたが、結局彼らは悔い改めることなく、イエス様を十字架につけ、処刑しました。一方、ローマの百人隊長の信仰の持ち方は、ユダヤ人でないにも関わらず、立派なものです。百人隊長ともあろう方が、イエス様の前に「わたしはあなたを屋根の下にお迎えできるような者ではない」とへりくだりイエス様を訪ねて、中風(手足の麻痺)にかかっている自分の僕に、「一言おっしゃってほしい。そうすれば、わたしの僕は癒されますから」と懇願しにやってきたのです。なんか、変ですよね・・・?「癒してよ!!」と、求めるよりも、一言おっしゃてほしいって・・・。
つまり、この百人隊長は、イエス様の御言葉に、力
、権威
、命
があることを信じていたのです。僕の病気は、イエス様の語った言葉によって、本当に癒されました。(ローマ書8:5〜13)いくら聖書
の知識を知っていても、(知識も大切ですが)信じるということとは全く別物です。何度も言いますが、イエス様を信じられることは奇跡です。人間の力では無理なのです
だから、祈り求めましょう。飢え渇いた祈り、叫び求める祈りを、神様は決して軽んじられません
「主は渇いた魂を飽かせ 飢えた魂を良いもので満たしてくださる」(詩篇107:9)
救い、癒しは御言葉
からやってきます。御言葉
によって私たちが創造されたように、(ヨハネによる福音書1)御言葉には力、命、権威があるからです。御言葉を丸ごと、疑うことなくただただ信じる時、神様はあなたを忠実な僕として大いに用い、祝福
をたっぷり注いでくださることでしょう
「主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる」(詩篇109:8)


第2主日礼拝
2010/01/10
宣教:神の御言葉による救い
聖書:イザヤ書55:6〜13イエス様を信じる者は、救われる

素晴らしいですね〜

イエス様を信じたい

または、信じているという方

実は、
信じるだけでは、救いの確信が得られないのです


私たちが、しなければいけない事は、神様を信じたなら
ずっと信じ続けるという事、御言葉を信じ続けるという事です


雨の日
も風の日
も嵐の日
にも。なぜなら、神様の御言葉は変わる事がなく、永遠に生きて働くものだからです

そして、御言葉に従い、実行する。または、告白
をするという事がとても重要です
口で、告白する事で、確信が与えられ、強められるからです


信仰というのは、神様の御言葉を聞く事から始まります

信仰というのは、自分が信じたいように信じるのではないのです

私たちが、勝手に神様の御言葉を利用して、ご利益を得ようとしてはいけません

そうなると、不信仰。不従順。になってしまうのです


御言葉に聞き従わないという事は、神様に罪をおかすことになります。
そして、人にも罪をおかすようになり、悪い事が当たり前の生活になります。
信仰と生活の基準が、聖書の御言葉ではなくなり、人間の思いになってしまう。
危険性があるのです


さらに、
自己中心的な信仰生活が続くと、悪霊が攻撃してきます


御言葉に従わないと、霊の戦いに勝利が得られません

そして、霊的祝福、生活の祝福が奪われていくのです

聞け。イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
申命記6:4〜5
この御言葉にもあるように、
神様を愛する
という事は、聞き従うという事です
御言葉をはんすうして、聞き従うという事。
ただ、聞いて
恵まれた
勉強になった
では意味がないのです。これは、残念ながら信仰ではない。のです。

人間は、自分の好きなように生きていきたい
という自分勝手な願望があります
神様の目から見たら、人間は皆、悪をたくらむもの。なのなのです・・


でも、喜んで下さい


神様は、悪をたくらむ人間を招いているのです



主に立ち返るならば、主は哀れんで下さる。
イエス様は罪人のために来られました。
さあ!神様のもとに立ち返りましょう!!
そして、神様の愛を
今よりももっと受け取る為に、決断、告白、実行、聞き従う事をしてみませんか?

実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
ローマ人への手紙10:10

〜第一主日礼拝〜
2010/01/03
宣教:「主に望みをおき、御言葉を待ち望め」2010年になりました
今年初の礼拝を捧げられたこと、イエス様の御再臨の日に着実に近づいていることなどを含め、本当にめでたいですね〜
新年を迎えられて感謝ですね〜
しかし!!!こんなめでたい新年に、あるお坊さん
はこんな詩を詠みました。元日や 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあれば めでたくもなし
年が明けるということは、また一つ年を重ね、(昔は、新年で年を取ったとしていた)あの世、冥土に近づくこと。(冥土は、天国ではありません)つまり、新年を迎えるということは、めでたいようで全くめでたくないんだ!という詩です。
御釈迦様も、困難な修行
の末に、ある結論を得ました。「人生は空の空で、生老病死という4つの避けられない苦悩が人間にはつきまとう。これは諦めるしかない・・・
」人生における、あらゆる問題の根底には、自分自身の罪があります。でも、ほとんどの人は、自分が深い淵の底に落ちている罪人だと認めようとはしません
誰だだって、みじめな自分を認めるのは嫌なものです
そこで、自分の力でどうにか解決の道を探そうとしますが、その姿は、底なし沼で必死にあえいで、逆にどんどん沈んでいく様子に似ています。決して這いあがれないから、絶望して、諦める・・・。でも!!!神様は恵み深く
、憐れみ深いお方。ちゃ〜んと救いの道を用意しておられます
もしも、私たちが自分が深淵に落ちた哀れな罪人だと認めるならば、神様はあなたの罪を赦し、豊かに祝福してくださいます
罪の赦しなしに、祝福はありません
これこそまさに、救いの始まりです
。(聖化)「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を悔い改めさせるためである。」(ルカによる福音書5:31〜32)
自分の罪を悔い改めると言っても、時に私たちはごまかした祈りをしてしまうことがあります。神様はそれを見抜いていたんでしょうね
神様は、悔い改めの祈り方を聖書
で語ってくださっています。詩篇6、32,38,51,102,143,130章
どうぞ、上記の箇所を読んでみてください。年の始めに、罪を悔い改め
、さらにそれを継続していく。きっと、今年もあなたの上に大きな神様の祝福
が注がれていきます★☆主に望みをおき、主から受けた大いなる恵みに感謝し、さらにそれを多くの人に分かちあうような一年を歩んでいきたいですね
主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら
主よ、誰が耐ええましょう。
しかし、赦しはあなたのもとにあり
人はあなたを畏れ敬うのです。
わたしは主に望みをおき
わたしの魂は主に望みをおき
御言葉を待ち望みます。(詩篇130:3〜5)
〜第3主日礼拝〜
2009/12/24
文字色
宣教:ダビデの子 イエス・キリスト
聖書:マタイによる福音書1:18〜25
「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。
母マリアはヨセフと婚約していたが、二人は一緒になる前に、
聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
(ヨセフはマリアが不倫しちゃったのか?とびっくり!)
夫ヨセフは正しい人であったので、
マリアのことを表ざたにするのを望まず、密かに縁を切ろうと決心した。
(不倫していることがばれると石打の刑に処せられるため、ヨセフは愛するマリアのためにそのように考えた。)
このように考えていると、主の天使が現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
(私達の救い主、イエス様の誕生の預言)
この子は自分の民を罪から救うからである。」
このすべてのことが起こったののは、
主が予言者を通して言われていたことが実現するためであった。
(詩編89、イザヤ7:14,9:5を参照してみて下さい)
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は「神は我々と共におられる」という意味である。
(神様は生きて今も働いておられます!!)
ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じた通り、妻を迎え入れ、
男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。
(処女マリアと言われるゆえんです!聖霊様の力によって成し得た御業で、人類でただ一人の)
そして、その子をイエスと名付けた。(マタイによる福音書1:18〜25)
神の御子であるイエス様は、あなたを罪と死との法則から解放するために、人間の姿をかたどって地上に来られました。クリスマスの本当の意味を考えてみてはいかがでしょうか?

宣教:ダビデの子 イエス・キリスト
聖書:マタイによる福音書1:18〜25「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。
母マリアはヨセフと婚約していたが、二人は一緒になる前に、
聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
(ヨセフはマリアが不倫しちゃったのか?とびっくり!)
夫ヨセフは正しい人であったので、
マリアのことを表ざたにするのを望まず、密かに縁を切ろうと決心した。
(不倫していることがばれると石打の刑に処せられるため、ヨセフは愛するマリアのためにそのように考えた。)
このように考えていると、主の天使が現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
(私達の救い主、イエス様の誕生の預言)
この子は自分の民を罪から救うからである。」
このすべてのことが起こったののは、
主が予言者を通して言われていたことが実現するためであった。
(詩編89、イザヤ7:14,9:5を参照してみて下さい)
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は「神は我々と共におられる」という意味である。
(神様は生きて今も働いておられます!!)
ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じた通り、妻を迎え入れ、
男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。
(処女マリアと言われるゆえんです!聖霊様の力によって成し得た御業で、人類でただ一人の)
そして、その子をイエスと名付けた。(マタイによる福音書1:18〜25)
神の御子であるイエス様は、あなたを罪と死との法則から解放するために、人間の姿をかたどって地上に来られました。クリスマスの本当の意味を考えてみてはいかがでしょうか?

